ノーライフプリンセス

 とある世界のどこかに、ひとつの国がありました。その国は、亡くなってしまった両親の後を継いだ、うら若きお姫様によって治められていました。勇敢で聡明な美しい姫は、攻め込んできた隣国の兵を自らも武器を持って退け、民に対しては的確な政治を行い、国は小さいながらも平和に繁栄していました。

 その戦いでもお姫様は勝利を収め、城へ戻ろうとしていました。
「……ちょっと待って!」
お姫様は可憐な見た目からは想像の付かないほど鋭く大きな声で指示を出すと、乗っていた白馬から飛び降り、1つの人影に駆け寄りました。
 その人影は戦いによる死体に見えたのですが、お姫様がその人影の上半身を抱きかかえると、わずかですがぴくりと腕が動きました。お姫様はその男を城まで運ぶように命じました。
 その男は、包帯と傷口と縫い目に覆われていました。

 城に運ばれた数日後、男は目を覚ましました。目を覚ますとすぐにベッドから出て、近くにいた女性にここはどこかと尋ねました。女性はここが先の戦いで男が戦った国の本拠地であること、お姫様が倒れている男を拾って城に帰ってきたこと、自分はこの城の医術師であることなどを説明しました。男は彼女に、自分の持っていた剣を知らないかと問いましたが、彼女は首を横に振りました。
 しばらくすると、その部屋に一人の来訪者がありました。豊かな金色の巻き毛と薄桃色のドレスに身を包んだ彼女は、目覚めた男を見て目を輝かせました。
 男の方に駆け寄る来訪者に、医術師は恭しく礼をしました。それを見て男は来訪者の手をとり、手の甲に軽く口付けました。
「あら、貴方はあちら側に忠誠を誓ったのではなくて?」
「私はただの金で雇われた兵士です。自分の身を守るためなら、目の前にいる強者に忠誠を誓った方がいい」
「なかなか世渡り上手な方ね」
そう言うと彼女は彼の手を引っ張って駆けだしました。裾を引きずるような長さで、中にたくさんのレースが詰まっているスカート姿とは思えないほど、彼女の速度は速く、男は自分の腕がちぎれてしまうのではないかと思いました。
 二人がたどり着いたところは城の中庭でした。彼女は男に偽物の剣を持たせました。男が自分の剣の在り処を尋ねると、彼女はそっけなく、
「返してあげるわ。勝ったらね」
そう言って男から離れ、中庭全体を見渡せる位置に座りました。彼女の横には召使らしき女性と、がっしりとした初老の男が座っていました。男が目線を中庭の中央へ戻すと、そこには一人の兵士らしき男と、審判らしき男がいました。どうやら向かい側の男と戦えということのようです。少し困ったことになったと男は思いました。彼の身体は十分にほぐさないと思い通りに動いてくれないのです。しかしそんな男の様子にはお構いなく、審判は開始の合図を出しました。男は仕方なく剣を構えました。
 5人と戦ったところで、観戦していた彼女はよく通る声で、男をお姫様の護衛、すなわち彼女自身の護衛にすることを命じました。その後彼女は、男の剣を持って彼に近づき、
「私がこの城、そしてこの国の当主です。よろしく」
そう言って男に剣を渡しました。その仕草は堂々として美しく、正に一国を統べる者の風格を備えていました。こうしてつぎはぎの傭兵は、お姫様の護衛となったのです。
 そのときから、お姫様は常に彼を侍らせるようになりました。縫合の跡が全身に這い回る剣士が滑らかな肌の美しいお姫様の横にぴったりと添う光景は、他国だけではなく自国の者たちまでも威圧する雰囲気がありました。しかし、お姫様が彼を護衛にした理由は、それだけではなかったのです。

「それでは、おやすみなさい」
お姫様はそう言って寝室の扉を閉めると、男はドアの前に座り込みました。お城の最深部、二人の兵士が警備する小さくて重い扉の向こうにある、狭くて曲がりくねった通路の突き当たりにお姫様の寝室の扉があります。その扉の前で、男はまるで番犬のように浅い眠りをとるのでした。
 ――男の耳が、かすかに高い声を捉えました。男は瞬時に立ち上がり、扉の向こうに対して呼びかけました。
「どうされましたか」扉の向こうのか細い声は彼の名を呼び続けます。男は寝室に飛びいりました。そこに待っていたのは、のど元を狙う針のように細い剣でした。
「驚いた?」剣を持つのはお姫様でした。寝巻きではなく、戦いの時の衣装を身につけています。
「……どういうことですか?」
「いざというときにちゃんと助けてくれるかどうか、確かめたくて」おどけた調子で言うお姫様の目は、恐ろしいほどの殺気に満ちていました。「扉を閉めて鍵をかけなさい」
 男は言われた通り、後ろ手で扉を閉め、鍵をかけました。次の瞬間、お姫様の乗馬靴に包まれた足が男の腹にめりこみました。男が倒れるときも、剣の切っ先はのどにぴったりと張り付いていました。
「この体たらくで、護衛が務まると思っているの?」お姫様は男の腹に馬乗りになりました。
「……申し訳ございません」
「冗談よ」
お姫様は微笑み、しかし冷徹な瞳で男を射抜いたまま、剣をすばやく動かしました。すると男が上半身に身に付けていた服は切り裂かれ、肌が露になりました。
 男の上半身は何筋もの縫い目が走り、たくさんの引きつれがありました。その体の真ん中に一筋、うっすらと血が滲んでいました。お姫様はその赤い筋をこすりながら男に問います。
「何故私があなたを助けたか分かる?」
「……分かりません」
お姫様はぺろりと指を舐めると、彼の傷に爪を立てました。男が顔をゆがめると、
「あら、痛みは感じるのね」
「たとえ痛みを感じなくとも、傷口をなぶられるのはあまり気持ちよくないものですよ」
お姫様は恍惚とした表情を浮かべ、
「私があなたを助けたのはね、」指をさらに食い込ませた瞬間、お姫様の喉元を剣の切っ先が捕らえました。
「無礼者」
「やめろ!」
漆黒の刀身を鈍くきらめかせたその剣は、剣先がお姫様に触れるか触れないかのところで、微動だにせず浮かんでいました。
「あなたが眠っている間に調べさせてもらったわ」お姫様は剣にまったく動じず話し続けます。「魔界の姫が宿り、斬った者の命を吸い取るように奪う漆黒の剣。姫が気に入った者のみ鞘から抜くことができ、不死を手に入れるという」
「ああ、あなたの言うとおりです。どうやら私はは剣に好かれているようで、毎晩白く細い手に体の隅々まで弄られる夢を見るのです。そして死にたくても死ぬことができない」
「あら、現実で現世の姫に、夢で幻世の姫に犯されるという幸せを享受しているというのに、わざわざ自分から命を投げ出そうだなんて贅沢な男ね」
「『幸せ』ですか……」男は苦笑いしました。
「まあ、今日はこの辺で恋敵に譲ってやることにするわ」お姫様は立ち上がり男の上から避けました。すると男の剣はゆっくりと床に落ちました。「いつも見張りで熟睡できないでしょうから、今晩は私のベッドに寝て、せいぜいそちらのお姫様にかわいがってもらうといいわ」
「いや、しかし……」
「これは命令よ」
 またもや喉元に刃を突きつけられ、しかたなく男はふかふかのベッドの中に魔剣といっしょに横たわりました。すると、お姫様が同じベッドにするりと横たわりました。
「こうすれば寝ながらでも護衛できるでしょう?」
男は思わずお姫様の方に手を伸ばしました。しかしその手はひとりでに動いた魔剣によって阻まれました。妖艶な笑顔を浮かべたお姫様に見つめられながら、男は深い眠りに落ちました。男は得体の知れない何かに体中をまさぐられる夢を見ました。
 男が目覚めると、お姫様はもう起きていて、朝の仕度も済んでいました。
「いい夢だったようね」お姫様の微笑みに、男は力なく微笑み返しました。

 それからというもの、お姫様は数日ごとに男を部屋に招きいれるようになりました。お姫様はいつも酷薄な笑みを浮かべながら男の体を傷つけます。男が苦痛で顔をゆがめるたび、お姫様は歓喜で目をぎらつかせました。男の体に傷が増えるほど、お姫様はより美しくなっていきました。そんなお姫様のもとに、1通の書簡が届きました。

 お姫様の治める国から少し離れたところに、お姫様の国より何倍も広く、兵士は何倍も多い国がありました。もともとその国は、お姫様の国よりもずっとずっと遠くにあったのですが、たくさんの国を侵略し領土を広げた結果、お姫様の国に近づいていたのでした。
 書簡はそこの国の王子様からでした。内容はお姫様と婚姻関係を結びたいというものでした。
 その主文のあとに、あくまで追伸といったふうに、ある国を支配下に置いたことが記されていました。それはこの前お姫様が侵略を退け、男を拾ってきた隣国でした。
 お姫様は唇をかみました。風の噂では、この王子様はたいそう残酷で、もしもこちらの返答が機嫌を損ねれば、その強大な兵力でこの国は蹂躙されてしまうでしょう。お姫様はひとつ息をつき、一度お会いしてから考えましょう、と文を返しました。

 濃い青の空に真っ白な雲が少しだけ浮いていて、少し風の強い日でした。
 お姫様は、隣国とお姫様の国の国境にある砦で王子様と会いました。2人は食事をしてお茶を飲み、当たり障りのない言葉を交わしました。その様子を少し離れたところから、男と王子様の護衛は眺めていました。
「見せたいものがあるのです」
食事が終わった後、王子様はそう言ってお姫様を砦の外に連れ出しました。ふわふわのドレスを着たお姫様は、王子様の白馬に横向きで座ります。美しいお姫様と彼女に手を差し伸べる、微笑を絶やさない王子様はまるで一枚の絵のようでした。
 2人がやってきたのは砦の近くにある高台でした。
「どうです、いい眺めでしょう?」
目を見開いたお姫様の肩を、王子様は優しく抱きます。
「風の噂は真実だったようね」
お姫様の声は震えていました。
 不意に、短刀が空を閃きました。王子様の頬に一筋の痛みが走ります。王子様はお姫様の小さな顔を右手でつかみ、首が折れてしまいそうなほど強く地面へ押しつけました。お姫様は自分の護衛であるはずの男の名前を叫びました。
「無駄ですよ」お姫様の両手首を押さえながら、王子様はささやきます。「あなたの護衛の腹を割き、四肢を切断するよう命じてありますから」
王子様はお姫様のパニエをかき分け、お姫様を後ろから貫き、耳元で歌うようにささやきました。
「あなたはとても美しい、しかし絶望の深淵に沈むあなたはその何倍も美しい」
王子様の口から放たれる甘くおぞましいその台詞はお姫様の全身を這い回りました。お姫様は舌を歯の間に挟み、顎に力を込めました。
 次の瞬間、お姫様の体は力を失い、地面に横たわりました。ぱっくりと開いたお腹の切り口から真っ赤な血液が青々とした草原に流れ出していきます。王子様はお姫様の下半身から腰を離し、剣に付いた血液を振り落とし、ため息混じりに言いました。
「自決なんてさせてしまったら、まったく勿体無いでしょう」

 男は目を覚ましました。目覚めてすぐに、自分の四肢がちゃんとくっついていて、腹の傷もなくなっていることに気が付きました。腹の上には、まるでその力を誇示するかのように魔剣が抜き身でありました。
 男は魔剣を鞘に収め、お姫様と王子様の向かった方向へと歩を進めました。
 高台には、臍の少し上あたりで真っ二つになったお姫様の体が落ちていました。宝石のようだった瞳は輝きを失い、ただまっすぐに空を見つめていました。
 高台からはお姫様の小さな国が見渡せました。お姫様が王子様と会っているとき、王子様の国の兵士は国のあちこちに火を放ちました。火は瞬く間に国土を包みこみ、豊かな緑色だった田畑は今や黒く燃え尽き、所々で残り火がちらちらとひらめいていました。
 足首を引きちぎられるような痛みを感じ男が視線を落とすと、お姫様と目が合いました。
「魔剣を私に渡して」お姫様は言いました。
「あなたも不死だったのですか?」
「そうならば、もう体は引っ付いてるわ。」お姫様は吐き捨てるように言って、「早くしなきゃ、本当に死ぬわよ」
男が戸惑いながら剣を鞘から抜きお姫様に渡すと、お姫様は魔剣を切り口から頭のほうに向かって突き刺し、とても速く、そして小さく何かをつぶやきました。次の瞬間、お姫様の下半身は磁石のように引き寄せられ、上半身とくっつきました。
 お姫様は起き上がり、男にそっとくちづけ、その場にいるように命じてから、歩き去っていきました。

 その時隣国の王子様は執務室にこもり、焼け野原にしたお姫様の国を統治する手はずを整えていました。
 突如、大きな音とともにドアが開き、一人の兵士が慌てた様子で入ってきました。
「どうした? 騒々しいな」
「あ……あの国から、し、死体が生き返って攻めて来ると伝令が!」
「何だと!?」
王子様は城の見張り台へ駆け上がりました。
 ――それは、まるで灰色の津波のようでした。
 王子様は見張りの兵士から望遠鏡を受け取り、そっと覗き穴に目を当てました。次の瞬間、王子様は執務室に駆け戻り、
「城壁の扉を閉めてしっかりと補強しろ! それから各都市にもそのように伝令を出せ、今すぐにだ!!」
そして、こめかみに脂汗が流れるのを感じながら、老練な軍師に問いました。
「さて、こういう場合はどうすればいいか」
「若様が私に問われるのは久しぶりのことですな」軍師は一つ息をつきました。「しかし残念なことに、私にも答えられませぬ。死霊の群れと戦ったことは軍師となって数十年、一度もありませんでしたからな」

 それは、虚ろな目をした人々の『壁』でした。
 平穏な暮らしを得るため振るっていた鍬や鎌を、片手に握り。
 いかなる障害をも乗り越え。
 ただ、姫を殺した者の元へ一直線に。
 『魔剣』にかりそめの命を与えられ、かつてのお姫様の領民は、王子様の国へとなだれこみました。

「あら、戦上手のあなたでも迷うことがあるのね」
聞き覚えのある声の方向に、王子様はゆっくりと顔を向けました。
 執務室の扉のところに、ドレスを着た、豊かな金色の髪の毛をした女性が立っていました。
「なぜだ! 俺は確かに見たぞ、王子様が真っ二つにした死体を――」
護衛は叫びました。
「ええ、そうね」お姫様は微笑みました。「だけど彼があまりにも素敵だから、もう一度会いたくてここまで来たの」
「それは光栄ですね」王子様も微笑みました。「婚姻については考えてくれましたか?」
「ええ、でも私は強い人が好きなの。それを確かめてからでないと」
そう言うとお姫様は大きく口を開け、右腕をその中に突っ込みました。腕をゆっくりと引き抜くと、その手には真っ黒に輝く剣が握られていました。
「そうですか。それは気合を入れないと」王子様は腰のサーベルを抜き、構えました。

 城壁にはかつての領民が恐ろしい勢いで押しかけ、支柱がぎしぎしと軋んでいます。そこに城壁の中から放たれた大砲が轟音を立てて落ち、彼らは吹き飛ばされました。しかし折り重なった彼らを踏み越えて、生ける屍はなおも詰め寄っていました。
 城の中では、剣がぶつかり合う鋭い金属音が響いていました。スカートをはいているとは思えない素早さで回り込み斬りつけるお姫様。それを受け、反撃する王子様。もしも剣が無ければ、二人は軽やかに踊っているように見えたでしょう。
 斬りつける手を休めず、お姫様は問いました。
「どうして私の領地を燃やしたの」
「言ったでしょう、絶望に沈む貴方は美しいと。」
「答えになってないわ」
「深く愛すほど、その者を傷つけたくなる」王子様はお姫様の剣を横に払いました。「貴方も同じでしょう?」
「……どうしてそれを知っているの」
「愛しているものの全てを知りたいと思うのは、普通のことではありませんか?」
そして、がら空きになったお姫様の胸へ、剣を深く突き刺しました。
 お姫様の口から、どす黒い血が零れ落ちました。
「私は本当に、貴方を愛しているのです。」
「そうね……」お姫様は微笑みました。「でも無理よ。私と貴方じゃ、お互いを破滅に導いていくだけ」
「それでも構わない、と言ったら?」
お姫様は首を横に振りました。
「私にはもう、大好きな人がいるの」
次の瞬間、お姫様の手足から炎が上がりました。炎はすぐにお姫様の全身を覆います。そして、
「私の、勝ちよ」
お姫様の声が聞こえたすぐ後に、炎の塊は見る見る大きくなり、形を変えていきます。やがて炎は咆哮をあげ、そこには緋色の皮膚と黒く輝くの爪と牙を持ったサラマンダーがいました。
 王子様は微笑み、サラマンダーに口づけました。刹那、王子様の頭蓋は彼女によって粉々に噛み砕かれました。

 サラマンダーはいかなる攻撃をもものともせず、通り道にいる兵士たちを食い殺しながら、お城で一番高い塔の上へと進みました。そして咆哮を上げ、息を吐きました。炎をはらんだ吐息は地を駆け、屍を、人間を、家々を、木を、草を、全てを焼きつくしました。

「……あなたはいつも、倒れているのね」
その声に、男は目を開けました。彼がまず見たものはところどころに焦げた跡のある自分の腕でした。それからお姫様の方を見て、
「君は、どっちなんだ?」
「どちらだっていいでしょう」
そう言うとお姫様はにいっと笑って、鋭い牙を覗かせました。

 とある世界のどこかに、一つの国がありました。
 その国は、小さいながらも平和に繁栄していましたが、ある時他の国に攻め込まれ、さらにサラマンダーによって国土を焼き払われてしまいました。
 そんな国の片隅に、焼け残った小さなお城がありました。
 そこには、一組の男女が住んでいました。
 女はかつてその国の姫でした。男はお姫様の護衛で、縫い目と傷に覆われた、つぎはぎの身体をしています。
 二人には、もう痛いことも、苦しいことも、悲しいこともありません。
 二人はいつまでも、いつまでも、幸せに暮らしました。

おわり

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