ロープ越しの君と、レンズ越しの君



 授業が終わり、私はコートとマフラーを引っかけ職員室へ向かった。職員室で部室の鍵を受け取り、部室の鍵を開け、中に入る。部室のロッカーを開け、朝に前もって置いておいた大きなバッグを取り出し、中からカメラを取り出した。
 ファインダーを覗き、フィルムを入れずにシャッターを押す。カシャリと小気味の良い音がする。私はこの音が好きだ。
 私が所属している写真部はほとんどが幽霊部員で、真面目に活動しているのは二、三人だ。顧問が放任主義なので、内申書に帰宅部と書かれたくない人々の標的になっているのだ。とはいえ自分も好きなように活動できるので、そう悪くは無い環境だと思っている。
 カメラを持って廊下に出た。冬の学校は寒い。足を這い登る廊下の冷たさに私はコートの前を閉めた。
 数日前、その人物が声をかけて来た時、私は不快な表情を隠そうとはしなかった。
「まあまあ、そんな怖い顔しないで」
これを見て不快感をもつ人間はいないだろう、と言えるくらい爽やかな笑顔で私に近づいてきたのは、この学校の風紀委員長だった。
 私は風紀委員というものが嫌いだ。もともと地毛が茶色ががっていて、緩くパーマがかかったような癖毛だから、朝の服装検査なるものに今まで何度引っかかったことか。校門の前に壁のように立ちはだかり、まるで疚しいところなど少しもないような顔をして爽やかに声かけをする彼らを私は目の敵にしてきた。
「これは地毛だって、ご存知のはずですけど」
「別に校則違反を注意するために声をかけたわけじゃないよ」
そう言って、風紀委員長は少し笑った。
「写真部の君に写真を撮ってほしいんだ」
なぜ写真部だということを知っているのか、と問おうとしたが、その前に自ら理由に気づいた。写真部の唯一活動らしい活動が、県の高校写真コンクールに各自1枚以上写真を出展すること、だ。つい先日そのコンクールで私の写真が入賞し、全校集会で表彰されたのだった。私は思わず舌打ちした。
「写真って、何を撮るんですか」
「ただの人物写真だよ」
委員長は日時と場所を私に告げると、よろしく、と言って私をまっすぐ見たままにっと笑った。その笑顔には有無を言わせぬ何かがあって、委員長なんてやる人間は、休み時間は教室の隅で背景に溶け込まんとしている私のような人間と違う何かがあるのだろうとぼんやり思ったのだった。
 そんなわけで、私は彼に指定された日時に、指定された場所に向かっていた。今は使われていない教室であるはずのそこの電灯が付いているのは引き戸のすりガラス越しでも容易に見て取れた。
 私は引き戸を開けた。途端に過剰に暖められた部屋の空気が私を包む。しかし私はコートを脱ぐことも忘れ、それに目を奪われていた。
 教室の真ん中に、ロープによって緊縛された女性が天井から吊り下げられていた。

「どういう、こと、ですか」
動揺によってかすれた声に、教室の端で椅子に腰掛けていた風紀委員長はにっこりと笑う。
「言っただろう、人物写真を撮ってほしいって」
「これのどこが『ただの人物写真』ですか!?」
私が思わず声を荒げても、委員長は微笑みを崩さない。ただ、品行方正で爽やかな笑顔で、この倒錯に加わることを要求している。
 ふと、制服の上から全身に縄を食い込ませている彼女に目線を移す。彼女は少し苦しそうに、しかし陶然とした様子で微笑んだ。
「写真を撮ってほしいというのは、彼女の希望だよ」
こんなの可笑しい。ふざけてる。狂ってる。それでも、
「分かりました、三脚を持ってきますから少し時間を下さい」
そう答えてしまったのは、その光景に何かを感じたからだった。
 部室にある三脚を持って教室の扉を開けると、縄を解かれた女性と風紀委員長がキスをしていた。私が固まっていると、
「鍵を閉めて、用意して」
唇を離して、委員長は目だけでこっちを見ながら事務的な口調で言った。私は三脚を立て、その上にカメラを固定した。委員長と女性が何か話していたが良く聞こえなかった。ただ、委員長のクリーニングに出したばかりみたいな制服と、縄のせいで皺のよった彼女の制服が対照的だなぁとぼんやり思い、シャッターを押した。
「ちょっと、用意できたなら言ってよね」
女性が半分笑ったような口調で言う。そして風紀委員長に視線を投げかけると、彼はロープの束を手に取った。
 私はファインダーを覗き込む。風紀委員長はいつもの爽やかな表情からは程遠い鋭い目つきになって、慣れた手つきで彼女を縛り上げていく。私は自分の感性の思うがままにシャッターを切る。ロープによって様々な格好に固定されていく彼女はまるでオブジェのようだった。縛り上げた彼女を委員長は言葉や道具や手足を使って嬲る。私はその様子も淡々とフィルムに記録していった。ただ、それが一番良く見えるタイミングを狙って。コンクールに出す写真と同じように。
 服越しに縛られていた彼女の露出度は徐々に高くなり最後は全裸で逆さ吊りにされて、彼女は縄から開放された。どうやら終わったらしい。過剰な暖房と異常な雰囲気のせいで私は汗びっしょりになっていた。彼女にバスタオルを渡す委員長の表情はいつもの爽やかな笑顔だった。
「現像ができたら僕に渡して。僕から彼女に渡すから」
私はただ頷いて、教室を後にした。

 写真部部室の隅にある暗室に入り、ドアの鍵を閉め、フィルムを取り出す。
 フィルムを現像し、印画紙に焼付け、現像した後乾燥させる。これを写真の枚数だけ繰り返す。
 現像液につけた印画紙に、画像が浮かび上がってくる。それをじっと見つめていた私は、はっと我に返り手を動かす。
 私はささやかに興奮していた。撮影時には何も感じなかったのに。
 現像が済んだので、私は先日知らされた委員長のメールアドレスにそのことをメールした。返信のとおり、私は指示された日時、指示された場所で写真を渡した。
「いい写真だね。」
そこは学校から徒歩数分のところにあるファーストフード店だった。二人掛けのテーブル席で、彼は人目を憚らず写真を確認した後そう言って爽やかに微笑んだ。
「そう言えば、もう一人撮ってほしいって子がいてね、良かったらお願いしたいんだけど」
私はすんなりと了承していた。まるで文化祭の写真係を頼むような気軽な口調にのせられてしまった、というだけではない。写真を見るうち、私は縄の食い込んだ女体に美しさを感じるようになっていた。

 それから、その奇妙な撮影会は一週間に一、二回ほど行われた。メールか口頭で予定を聞かれ、予定があったらいつも同じ空き教室に向かい、過剰な暖房の中撮影し、部室で秘密裏に現像し、それを委員長に手渡しする、この一連の仕事を私は淡々とこなした。とはいえ、彼に対する依頼の多さに少し驚いていた。
 『撮影会』にやってくる人は上級生、下級生、ごくたまに他校の生徒など様々な人がいたけれど、大きく分けて二種類いるように思えた。縛られるのが目的の人と、委員長が目的の人だ。確かに彼は爽やかな外見な上成績優秀らしく、そこそこもてるらしい。前者は終わったあとうっとりして、再度やってくる人も多い。後者は終わったあと怯えた様子で、その後二度と見ることはない。
 回数を重ねるごとに、私はこの撮影にのめりこんでいった。縄をかけられた女性が、鋭い眼光で縄をかける委員長が、一番美しく見える瞬間を狙ってシャッターを押した。写真を渡す時に面と向かって評価されるのもやりがいを感じた理由かもしれない。そして私は写真を現像するたびに密やかな昂ぶりを感じていた。

 それは卒業式を数日後に控えた日の事だった。授業が終わると、私はいつもの空き教室へ向かった。ガラリと引き戸を開けるといつものように熱気が身体を包み込んだ。しかしそこにはいつもいる被写体は存在せず、教室には私と委員長の二人きりだった。
 委員長は私の姿をみとめると私に細いゴムホースのようなものを渡した。よく見るとそれはリモートレリーズだった。これをカメラのシャッターに取り付けることによって離れた場所からシャッターを切ることができる。
「これをカメラに付けて」
私は言われるままカメラを三脚で固定し、シャッターにリモートレリーズを取り付けた。作業が終わって振り向こうとしたその瞬間、胴体が後ろに引っ張られた。一瞬よろけそうになるが、それは私のみぞおちの高さ辺りを回る縄によって阻まれる。あまりに鮮やかな手さばきに驚いている間にもロープは私の上半身に張り巡らされ、そしてそれは天井からぶら下がっているロープに繋がれる。私は身動きが取れなくなった。
 委員長は後ろ手に縛られた私の手にオートレリーズを渡した。最早抵抗する気も起きず、私は素直にそれを握った。ボタンを押すと、小気味の良いシャッター音が聞こえた。こうして、いつもよりも数段奇妙な『撮影会』が始まった。縛られ方によってどのタイミングでシャッターを押せば最適なのかは経験上分かっていた。私は感覚に従ってボタンを押す。委員長は私を縛り上げ、解き、また縛り上げる。その度に身体に纏う衣服が減ってゆく。羞恥心など擦り切れるほどその様子を見てきたのに、いざ自分が経験するのは初めて、と言うのがなんだかおかしかった。
 血の巡りが悪くなるからだろうか、時間が経つにつれて意識が朦朧としてくる。だから全てが終わって床に下ろされたときも、私はぺたりと座って虚空を見つめていて、口腔に入ってくる委員長の舌も自然に受け入れていた。舌が口内をまさぐるにつれ、意識がはっきりしてくる。私は顔を背けた。すると委員長は私を立たせ、制服を着せ、手を繋いで教室から出た。手を引っ張る力は思いのほか強くて、私は引きずられるようにして歩いた。どこへ行くのか、何をするのか、背中に言葉を投げかけても彼は振り向きもしなかった。
 校舎を出て校門をくぐり、いつかのファーストフード店を通り過ぎ、さらに十分ほど歩き、静かな住宅地の中の一戸建てにたどり着いた。表札からして、ここは委員長の家のようだった。誰もいないようで、家の中は静まり返っていた。私は連れられるまま彼の部屋に入った。
 彼は私を一人部屋において出て行き、お茶の入ったグラスを2つ持って戻ってきた。私は手渡されたお茶を立ったまま一息に飲んだ。空になったグラスを彼は受け取り、自分の分も合わせて机に置いた。
 不意に彼は両手を肩にかける。彼はゆっくりと私の肩を押す。私は押されるままに後ろに下がる。そのうちに足がベッドにぶつかり、その勢いのまま私はベッドに腰を下ろした。彼は私の前に膝立ちになり、私の制服の胸元に手をかけた。私は抗うように身を引く。
「何で……」彼は私の顔を見つめる。「じゃあ何で、ここまで抵抗しなかったんだ」
「別に、理由はないです」私も彼の顔を見つめ返した。
「他人がどうなろうが自分がどうなろうが興味はないから」
「……馬鹿だな」
彼の思いつめたような表情を、私は初めて目にした。だが次の瞬間彼は今までよりも何倍も鋭く、冷たい目つきになった。
「馬鹿だよ、君は」
 彼は私の服を剥ぎ取っていった。私の肌には縛られた後が赤くくっきりと残っていた。彼はそこをなぞるように舌を這わせた。脈拍と鼓動が早くなり、身体が熱を帯びる。そんな生理的反応とは裏腹に私の頭の中は冷静だった。今まで他人に見せたこともない部分に触れられる。手足が絡み合う。そして私は彼を体内に受け入れた。
 ……こんなものか。それがいわゆる『初体験』に対する私の感想だった。ふと彼の部屋の壁掛け時計が目に入る。現在時刻を認識した私はすぐに起き上がり、制服を身につけた。送るよ、と言った委員長の言葉を断り、私は彼の家を後にした。初めて来た場所だったが、少し歩くと広い道に出たので迷うことはなかった。
 帰宅の挨拶をすると、遅かったのね、と言う母の声が聞こえた。私はそれに生返事して自室へと向かった。
 私が他人に興味を示さないのは幼い頃からで、母の顔を見ても笑い声一つ上げなかったらしい。しかし写真だけは例外で、写真を見せたり、カメラのファインダーを覗かせたりすると、別人のように喜んでいた、と母は時々話す。そんな私が写真部に入ったのは必然だったのかもしれない。
 制服を脱いでハンガーにかけると、私はベッドに倒れこんだ。思ったよりも体力を消耗していたらしく、私はそのまま眠りに落ちた。

 次の日、フィルムを持って部室内の暗室へ向かう。暗室の鍵を閉め、フィルムの現像を始める。いつもと同じルーチンワーク、でもいつもと違ってそこには私が写っている。現像の終わったネガに目を凝らす。思ったよりも良く撮れているような気がした。
 次は画像を印画紙にプリントする作業だ。ネガを印画紙に焼き付け、それを静かにバットに満たした現像液に浸す。縛られた私と委員長の画が印画紙に浮かび上がってくる。
 それが視界に入った瞬間、私は激しい興奮を覚えた。思わず自分の身体をまさぐる。身体の芯が熱い。
 私は写真を凝視しながら自慰をして、それから少し泣いた。私は写真に写ったものしか愛せない。薄々感じていたその事実を、私はこのとき、はっきりと認識した。

 卒業式の日、私は小さな花束と封筒を持って、体育館の出口から少し離れたところに立っていた。風紀委員長は式が終わって体育館から出てくるなりたくさんの在校生に囲まれていた。
 その人並みが完全に消えたのを見計らって、私は委員長に近づく。彼女達にもぎ取られたのだろう、制服の多くのパーツが欠落していた。私は彼が両手に抱えた花束に、自分の持っていた花束と封筒を埋める。
「ご卒業おめでとうございます」
彼は花束を全て片手に抱えなおし、その中から封筒を手探りで見つけると、片手で器用にそれを開け、中身を確認し、いつものように爽やかに微笑み、
「いい、写真だ」それからすぐに真顔になった。
「僕と、付き合ってください」
 私はゆっくりと首を振った。そして不可解だと言わんばかりの彼の顔を見つめた。
「私たちは、お互いに虚像を見ている」
私は歩き出した。私を呼び止める彼の声に、
――カシャリ
振り返って首にかけていたカメラで彼を撮影し、そして笑った。こんな風に人に笑いかけたのは初めてかもしれない。そして私はまた歩き出し、彼の視界から消え失せた。

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